ミョウジョウイン

妙定院

徳川将軍の尊牌を護る念仏道場の名刹
寺院
  • 仏教寺院
エリア
東京都港区
最寄り駅
芝公園駅 A4口から徒歩4分
赤羽橋駅 から徒歩1分
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国の登録有形文化財
土蔵造りの熊野堂は寛政八年(一七九六)に妙定院の鎮守として建立されました。熊野三社大権現を本尊としています。上土蔵は文化八年(一八一一)建立で、妙定院の収蔵品を守り続けてきました。
 二棟は戦災を免れ、創建期以来の江戸の記憶を伝える建造物として、平成十三年に国の登録有形文化財となりました。近代工法では再現できない技法と意匠を伝承するものと評価されています。
 熊野堂は開山定月上人から、第二世仰願上人、第三世宝観上人へと建立の願いが連綿と受け継がれた瞑想空間として、昔口の姿に復元されました。
 また上士蔵は妙定院古記録より判明した意匠を採用するとともに、第十三世貞賢上人ゆかりの昭和本堂の建築彫刻と須弥壇を内部に移設しました。「浄土蔵」と新たに命名され、伝来の仏像・彫刻を展示する空問として再生されています。
妙定院墓地のご案内
 この度、当院墓苑を整備し、新たに受付を開始いたしました。
 芝公園の緑に囲まれ、東京タワーを見渡すことが出来る墓苑は、平坦で、水はけもよく整備され、通路は歩きやすく、駐車場からは車イスでもお参りできます。伝統と格式のある寺院の、現代にマッチした墓地です。お参りのあと芝公園の散策もいいですね。
 都心の交通の便の良さは、思い立ったとき、嬉しいことがあったとき、悩みが生まれたとき等々、いつでも訪れ、心の対話が持てることを意味します。また、法要の際お呼びする人々にも便利です。やすらぎのひとときです。地下鉄三田線芝公園駅より歩いて4分、地下鉄大江戸線赤羽橋駅からは徒歩1分、首都高速道路都心環状線芝公園ランプからもすぐのアクセスのよさです。
 私たちは、人間として生まれたときから、限りある命をいただいています。先のことを考えることは、さらによりよく生きることにつながります。 こころをこめてお迎えします。何なりとご相談ください。


概要:
2.7×3.5尺、3.0×3.5尺、3.5×4.0尺など各種。
永代使用料 約200万円より。
護持会費 18,000円/年。
過去の宗旨は問いません。
メッセージ
○○○開創250年記念 本堂・伽藍 落慶ごあいさつ○○○

土蔵のみ残して、妙定院のすべてを焼き尽くしてしまった東京大空襲。その後まもなく再建が始まり、ようやく本堂まで完成したのも束の間、昭和三十年代末には境内背面に首都高速道路、前面に都道の築造となり、そのため境内の形は不整形となり、振動・騒音・大気汚染、更には日影などの環境の激変が当院を襲いました。一時は、この地での寺院の存続さえ危倶されたこともありました。先代といかにすべきか、よく話したものでした。境内形状の大きな変化のための対処なら、全面的な改築しか選択肢がなかったことも、計画になかなか乗り出せない一因でした。
 しかし、いつまでも振動などで建物を危険にしてはおけません。高層ビル化や地下鉄の開通など、周囲の状況もひとまず落ち着いてきたようでもありました。そこで、この開創の聖地で、伝統と将来を見据えた伽藍を整備すべく発願することとしました。いわば徳川幕府の寺であった当院が明治期に入った時に新時代を見通した第九世や、大戦後、無同然から始めた第十三世のことを思うと、勇猛心が湧きました。総代はじめ檀信徒の方々もこぞって賛同し、大きな支援をくださいました。境内地型の変貌から四十年。ここにようやく円成に至ったのです。
 本堂は、木造檜造り。寄棟造りの形や増上寺を向く方向も、焼失までの百七十五年間の姿と同様に戻りました。伝統の匠の技に、耐震をはじめとする最先端技術が加わっています。環境にやさしく、人々に潤いと安らぎを供する檜の香りも清しい道場です。堂内荘厳も伝統と洗練の力作ばかりです。国の登録有形文化財の土蔵二棟は、古文書を基に二百年前の姿に戻り、現代の風景に融け合っています。
 書院は、法然上人像をいただく汎用の空間を有し、文人でもあった開山妙誉定月大僧正の流れを引き現代の作庭家渾身の作である庭園を見渡す洋室や和室、更には、江戸城から伝わったものを中心とする什宝物を収蔵する近代設備の収蔵庫や一切経を蔵する経蔵から成る近代建築です。現代の高い水準のデザインの息吹も感じられます。山門をくぐっての本堂前の停まいも凛としています。
 悪環境には強く、地球環境・周囲・人々にはやさしく、開かれた寺院をめざす・・・という基本理念のもと、すべての方々の尊い力によってこの落慶を迎えることができました。心より感謝申し上げます。
 器はできました。これからは恩返しをすべき時となります。仏教に期待されるところは多いものがあります。法然上人八百年大遠忌を迎える今、宗祖の万民救済・専修念仏の教えを根幹として、文化的な役割や地域・社会に対する貢献を多少なりとも担い、人々がほっとする時間、ちょっと日々の生き方を振り返る瞬間を提供できたら、こんなに有り難いことはないと思います。

妙定院の基本情報

スポット名 妙定院
TEL 03-5777-2111
住所 〒105-0011
東京都港区芝公園4丁目9-8
営業日
拝観時間:
9:00~17:00
年中無休:
年中無休
HP http://myojoin.or.jp/
備考 ○○○開創250年記念 本堂・伽藍 落慶ごあいさつ○○○

土蔵のみ残して、妙定院のすべてを焼き尽くしてしまった東京大空襲。その後まもなく再建が始まり、ようやく本堂まで完成したのも束の間、昭和三十年代末には境内背面に首都高速道路、前面に都道の築造となり、そのため境内の形は不整形となり、振動・騒音・大気汚染、更には日影などの環境の激変が当院を襲いました。一時は、この地での寺院の存続さえ危倶されたこともありました。先代といかにすべきか、よく話したものでした。境内形状の大きな変化のための対処なら、全面的な改築しか選択肢がなかったことも、計画になかなか乗り出せない一因でした。
 しかし、いつまでも振動などで建物を危険にしてはおけません。高層ビル化や地下鉄の開通など、周囲の状況もひとまず落ち着いてきたようでもありました。そこで、この開創の聖地で、伝統と将来を見据えた伽藍を整備すべく発願することとしました。いわば徳川幕府の寺であった当院が明治期に入った時に新時代を見通した第九世や、大戦後、無同然から始めた第十三世のことを思うと、勇猛心が湧きました。総代はじめ檀信徒の方々もこぞって賛同し、大きな支援をくださいました。境内地型の変貌から四十年。ここにようやく円成に至ったのです。
 本堂は、木造檜造り。寄棟造りの形や増上寺を向く方向も、焼失までの百七十五年間の姿と同様に戻りました。伝統の匠の技に、耐震をはじめとする最先端技術が加わっています。環境にやさしく、人々に潤いと安らぎを供する檜の香りも清しい道場です。堂内荘厳も伝統と洗練の力作ばかりです。国の登録有形文化財の土蔵二棟は、古文書を基に二百年前の姿に戻り、現代の風景に融け合っています。
 書院は、法然上人像をいただく汎用の空間を有し、文人でもあった開山妙誉定月大僧正の流れを引き現代の作庭家渾身の作である庭園を見渡す洋室や和室、更には、江戸城から伝わったものを中心とする什宝物を収蔵する近代設備の収蔵庫や一切経を蔵する経蔵から成る近代建築です。現代の高い水準のデザインの息吹も感じられます。山門をくぐっての本堂前の停まいも凛としています。
 悪環境には強く、地球環境・周囲・人々にはやさしく、開かれた寺院をめざす・・・という基本理念のもと、すべての方々の尊い力によってこの落慶を迎えることができました。心より感謝申し上げます。
 器はできました。これからは恩返しをすべき時となります。仏教に期待されるところは多いものがあります。法然上人八百年大遠忌を迎える今、宗祖の万民救済・専修念仏の教えを根幹として、文化的な役割や地域・社会に対する貢献を多少なりとも担い、人々がほっとする時間、ちょっと日々の生き方を振り返る瞬間を提供できたら、こんなに有り難いことはないと思います。妙定院は、宝暦十三年(1763)、徳川九代将軍家重公を開基と仰ぎ、三縁山増上寺四十六世妙誉定月大僧正によって開山され、寺号は増上寺、院号は定月上人の戒号より妙定院と称しました。増上寺の別開蓮社また別院として位置付けられて、六時勤行・念仏不断の道場であり、また当時山内五十一ヵ寺中、明蔵(一切経)を有し仏典研究の中心的存在でもあり、後さらに、浄土宗の准檀林の寺格を持った、念仏道場・学問研究の名刹として知られてきました。
 当院の地は当時三縁山中、山下谷と呼ばれた所で、幽水閑雅、古川の清流は浄土を思わせる名所として、東京名所四十八景の一として人々に親しまれていました。現在も首都の中心地として、近くには東京タワーはじめ近代的な高層建築や高速道路がある一方、芝公園内にあって濃い緑に囲まれた環境の中、境内にも、多くの保護樹木などでおおわれた庭園も持ち、都心の安らぎの地となっています。

 また「熊野堂」「上土蔵」は、国の登録有形文化財と成っています。(現在解体修理中)

 ご本尊は、安阿弥(快慶)の作と寺伝の伝える、稀少な「裳かけ阿弥陀如来像」で、騒がしい現代に気持ちの落ち着きを与えてくださいます。

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