オクタダミカンコウカブシキガイシャ

奥只見観光株式会社

シルバーラインを越えて流れる時間。奥只見
レジャー
  • 観光施設
エリア
新潟県魚沼市
最寄り駅
JR上越線・只見線 小出駅 から車で54分
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- 奥只見の歴史 -
寛永 18(1641)年、百姓の源蔵という男が只見川で川鱒取りをしていて銀を発見したことから、山深い平和な村はシルバーラッシュへと巻き込まれていく。小出から銀山に至る間には 8 ヶ所の宿場が設けられ、天下の嶮と恐れられていた枝折(しおり)峠は人馬の影を絶やす日が無いほどだったという。
おりしも当時幕府は全国的に鉱山奨励に力を注いでおり、ここを幕府直轄事業地とするや、元禄2(1689)年には河村瑞軒を支配にあたらせた。この頃が最盛期であり、元禄10 年には 1,044 貫もの花降銀(はなふりぎん、純銀のこと)を上納している。御用米や人足の増加も著しく、民家千軒、寺院3ヶ寺、鉱山夫相手の元禄遊女のいる鉱山町があった。 しかし宝永 3(1706)年大規模な排水抗作業の手落ちから多数の死傷者を出したため、採鉱は頓挫し、幕府も留山とした。以後もくすぶり続けていた鉱山熱であったが、安政6(1859)年に工夫が只見川の川底を破り 300 人余りの死者を出したことで、銀山は最後の幕を下ろすこととなったともいわれている。
現在も地名としていくつか往時を偲ばせるものが残っている。銀山平のトンネル近くの「石抱き」は、銀を不法に持ち出した者に石を抱かせ、拷問した場所である。他にも、骨投沢(こつなげさわ)、恋の岐(こいのまた)などがある。
- 奥只見の自然 -
標高 750mの奥只見湖周辺では、天然記念物のイヌワシや特別天然記念物のニホンカモシカが、貴重な姿を見せてくれる。また清流が幾筋も流れ込む奥只見湖には、作家・開高健氏が虜になったほどの巨大イワナや桜鱒など多数棲息している。
奥只見は日本有数の豪雪地帯であり、5~6mもの積雪により湖面は雪に覆われる。
5月中旬の遊覧船営業開始頃には、日に日に濃くなる緑、一斉にアピールする花々、まだまだ雪を頂く百名山などがさわやかな気持ちにしてくれる。銀山平の荒沢岳には、慢性的な雪崩によって、わずか標高 1,100mほどの所に万年雪が存在する。片道 40 分程の万年雪トレッキングが可能。

「紅葉の奥只見」は 10 月上旬から色が変わり始め、例年 10/20~11/3 頃がピーク。
広大なブナの林が黄色から赤茶色へと変化し、尾根に並ぶ針葉樹の緑とのコントラストは見事。ちょうどその頃初雪が降るため、越後駒ケ岳や平ヶ岳、燧ケ岳といった日本百名山の冠雪と紅葉を同時に楽しめる湖上からの眺めは格別である。
- 奥只見ダム -
電源開発株式会社(J­POWER)により昭和 32(1957)年の本工事から4年経った昭和 36(1961)年、東洋一の人造湖である奥只見湖が完成(現在は日本で 2 番目の貯水量を誇り、また高さは 5 番目に大きい)。ダムとトンネル工事の総就業者数は延べ約 600 万人、117 人の尊い犠牲があっての難工事であった。慰霊碑は現在、奥只見湖畔の電力館の前に建てられている。
奥只見ダムは高さ 157m(東京タワーの第一展望台と同じくらいの高さ)、新潟県・福島県にかかるダムの長さは 480mある。湖の面積は約 11.5 ㎢(中禅寺湖の約 1.2 倍)、総貯水量は約6億t(小河内、黒部ダムの約3倍、幅 15m×深さ1mのプールを作ると仮定すると、長さは4万km=地球一周分)。
発電所はダムの地下にあり、4台の発電機による最大出力は 56 万kw/h(約 25 万世帯=70 万人分の生活電力に相当)で日本一。J‐POWERは電気の卸売り会社であり、当発電所の電力は東京電力に 75%、東北電力に 25%の電気を卸している。運転は埼玉県川越市から遠方で集中監視制御している。
近年生活用水等多目的ダムの建設に関して見直し論が出ているが、奥只見ダムは発電用のダムである。水力発電は、火力や原子力に比べ緊急時に大量の電気が必要な場合でも対処しやすいため、地震等の災害時のバックアップ用電力としてその重要性が再認識されている。また温暖化の現在、建設時に自然への負荷は大きいが発電時に CO2 を排出しないため、資源循環型の発電であるといえる。
- 奥只見シルバーライン -
戦後復興期の急激な電力需要の増加や、異常渇水による電力不足に対応するため、「電源開発促進法」が公布され、電源開発株式会社(J­POWER)により昭和28(1953)年に奥只見ダムが着工される。
ダム建設にあたり、まずは資材運搬用道路が必要であり、江戸時代に銀山として栄えた奥只見湖(別名銀山湖)から名前をとり、現在のシルバーラインを建設。全長 22km、うち 18kmは 19 ヶ所のトンネルからなる。最長は 17 号トンネルの 3,920m。約 3 年かけて、昭和 32(1957)年 11 月に完成した。
毎年冬季(1月中旬~3月中旬)に、トンネルの保守作業をしているものの、未だ建設当時を偲ばせる岩肌が随所に見られる。
- 尾瀬 -
「日本自然保護活動発祥の地」である尾瀬。群馬、福島、新潟、栃木の 4 県にまたがり、平成 19 年(2007 年)日光国立公園の一部であったが単独の尾瀬国立公園として 29 番目の国立公園として誕生した。日本を代表する高層湿原である。
「尾瀬」という名称の由来は、平安時代の公家、尾瀬三郎房年からきているのではないかとも言われている。三郎房年は、御姫をめぐって時の権勢平清盛と三角関係に陥り、遠流の身となり魚沼市(旧湯之谷村)に辿り着いた。さらに奥地へと進み燧ケ岳の山麓に大沼を発見し、後にこの沼を尾瀬三郎の名に因んで尾瀬沼と呼ぶようになった。そして尾瀬から流れる只見川は、「岸壁がせまり、昼尚暗く、見えるものは只ただ川ばかり・・・」
という伝説から只見川と呼ぶようになった。他にも流れ込む「瀬」が多いから「尾瀬」となったなど諸説がある。
尾瀬の地形は火山によって形成され、中でも燧ケ岳の活動が最も大きい。溶岩が川をせき止めて尾瀬沼の母体ができた。土砂の流出、水生植物の枯死(泥炭化)堆積等、長い年月をかけて現在の形になった。
奥只見からは遊覧船で尾瀬口まで 40 分、バスで沼山峠まで1時間、尾瀬沼までゆっくり歩いて小1時間。標高 1665mの尾瀬沼まで、植生の移り変わり、美しい景色や花々を堪能できて、かつ十分日帰りできるコースである。

奥只見観光株式会社の基本情報

スポット名 奥只見観光株式会社
TEL 025-795-2750
住所 〒946-0082
新潟県魚沼市湯之谷芋川1317-3
営業日
営業期間:
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定休日:
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Facebook https://www.facebook.com/奥只見湖遊覧船-352959748084520/
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