イオリアン ホンテン

いおり庵 本店

御煎餅の
ショッピング
  • 菓子
エリア
茨城県常総市
最寄り駅
常総市役所から車で6分
関東鉄道常総線 水海道駅 から徒歩14分
いおり庵 本店に行く前にチェック!
お気に入りに追加
お気に入りを解除
メッセージ
~お客様との『一期一会』を大切に ~
一期一会とは「たとえ同じお客様に幾度ご来店いただいても、 今日のご来店は二度と繰り返されないことを思うと、実に一生に一度きりのものである。」
その一生に一度きりのご来店を、私たちはほんとうに悔いなく過ごさなければなりません。

いおり庵 本店の基本情報

スポット名 いおり庵 本店
TEL 0297-23-5107
住所 〒303-0031
茨城県常総市水海道山田町4761
営業日
営業時間:
9:00~18:00
定休日:
日曜日定休・繁忙期は営業
HP http://www2.ias.biglobe.ne.jp/iorian/index.htm
備考 ~お客様との『一期一会』を大切に ~
一期一会とは「たとえ同じお客様に幾度ご来店いただいても、 今日のご来店は二度と繰り返されないことを思うと、実に一生に一度きりのものである。」
その一生に一度きりのご来店を、私たちはほんとうに悔いなく過ごさなければなりません。~お煎餅「い」「ろ」「は」~
■お煎餅の歴史
米菓(この時期のものは現在のお煎餅とは異なるためベイカと呼びます) の歴史は大変古く、日本人がお米を食べるようになったのとほとんど同じ時期に食べられたと伝えられています。
はじめは、焼米であり、砕いて粗い粉にしたものを団子や餅にした粒食の米菓であったそうで、時が移って飛鳥~奈良時代になると粉食系の唐菓子文化が大陸から伝わり、本格的な米菓が確立されたと言われております。

■東京のあられ・お煎餅はいつ頃生まれたのでしょうか?
それでは、東京の「あられ・お煎餅」はいつ頃生まれたかといいますと、江戸時代の元禄元年(1690年頃)に京都の 菓子の作り方が江戸に伝わり、うるち米の粉で出来た生地を型抜きして乾燥させ、お客の求めに応じて塩やヒシオ(醤油の素)をつけてその場で焼き、その香ばしさを売りものに商売をしていたという文献が残っており、また、分化文政の頃(1817年頃)、江戸の北郊(柴又、町屋、千住、竹ノ塚、草加)にかけて、うるち米を蒸して搗き、天日で乾燥させ炭火で焼いたものが街道筋で評判となりつまり、これが「草加せんべい」の始まりと伝えられています。
その点からいえば、東京の「あられ・おせんべい」は江戸時代から伝わる伝統の味と言えましょう。

■知っていましたか? あられとおせんべいの違い
「あられ」と「おせんべい」の違いをご存知ですか?一般的に小さいものを「あられ」、そして大きなものを「おせんべい」と思っている方が多いようですが、これは間違いです
「あられ」と「おせんべい」の総称として「米菓」といい、どちらもお米が主原料であることは同じです。ところが、「あられ」の原料は「もち米」であり、「おせんべい」は「うるち米」と、お米がまったく違います。
「あられ」は「おかき」「かきもち」とも呼ばれ、食感がソフトで口の中での溶解も容易です。一方、「おせんべい」は食感が 堅いものが多いという特色がありますが、近頃では「あられ」に堅いタイプ、「おせんべい」にソフトなタイプのものが好まれるようです。

■あられ・おせんべいの噛む効果
最近、噛むことの大切さがあらためて見なおされています。食生活の変化から、やわらかい食べ物が多くなり、噛む回数が減り、噛まずに呑み込む食習慣がついています。
パリポリと快い音をたてる「あられ・おせんべい」を噛むことは、からだのために大変よいはたらきをします。
まず、噛むことにより多量に分泌される唾液が、胃や腸の働きを助け、消化や吸収をよくします。また、あごを活発に動かし、筋肉を
はたらかせると脳の生理作用が活発化し、老化の防止にも役立ちます。

■おせんべいの名の由来は
今から約300年以前のこと。日光街道、奥州街道の松並木に茶店を出して団子を売っていたおばあさんがいました。ところが売れ残ることもありおばあさんはその始末に困っていたところ、通りすがりの侍から売残りの団子をいま一度平たくのばし、これを乾かして焼あげるとよいと知恵を授かり、塩をつけて焼いたのが「塩せんべい」の始まりだといわれます。
そのおばあさんの名が「お仙」といったので、お仙の焼く餅から「お煎餅」と呼ぶようになったといいます。
その後、塩せんべいは一時すたれることになりましたが、文化文政の頃(1817年頃)になるとしょう油が使われるようになり、その味が江戸をはじめ関東人の好みによく合い、大いに売れだし、いまに伝わっているといわれています。
PAGE TOP