ホンショウジ
本照寺
日蓮宗
寺院
- 仏教寺院
- エリア
- 東京都練馬区
- 最寄り駅
- 西武 大泉学園駅 から徒歩10分
本照寺に行く前にチェック!
メッセージ
プロフィール
山号 了光山
寺号 本照寺
本尊 十界互具大蔓茶羅(萬年救護)
本山 総本山・身延山久遠寺
宗祖 日蓮聖人
開山年 天正10年(西暦1582年)
開山開基 本照院日勇上人
現住職 境野哲秀
~縁起~
本堂を改築した際に、主柱の下から天正10年の記銘のある『日蓮題目板碑』と呼ばれる板碑(鎌倉時代から戦国時代末期までの武家の菩堤を弔うための石の塔婆)が発見されました。そうしたことから創建は、今を遡ること400年以上も前、安土桃山時代の天正10年(西暦1582年)ではないかとされています。
その昔、当寺は、練馬区東大泉の倍光山妙延寺、杉並区清水の法光山妙正寺とともに『三光山』を呼ばれ、千葉県市川市にある日蓮宗大本山・中山法華経寺を勤めあげた老僧の隠居寺にもなっていました。
さらに、このあたりはかつて、小榑(こぐれ)村と呼ばれていたのですが、『北豊島郡誌』(大正7年)の中に、「大泉村役場は、大字小榑1234番地に在り、村制以来隣接せる本照寺に置きたるが、明治44年中現処に移転したる也」という記述があり、当寺が村役場になっていたという歴史も明らかになっています。
~乱世を生きた日蓮聖人~
日蓮聖人は、日蓮宗が拠りどころとする経典『法華経』の宣布高揚を真実一路、貫きました。それゆえに反発も多く「大難は四カ度、小難は数知れず」と言われるほど、迫害と弾圧の連続でした。そんな日蓮聖人の生涯を現わすにふさわしい『乱世に立つ』という言葉。現住職の書をもとにした五文字が台座に刻まれています。
山号 了光山
寺号 本照寺
本尊 十界互具大蔓茶羅(萬年救護)
本山 総本山・身延山久遠寺
宗祖 日蓮聖人
開山年 天正10年(西暦1582年)
開山開基 本照院日勇上人
現住職 境野哲秀
~縁起~
本堂を改築した際に、主柱の下から天正10年の記銘のある『日蓮題目板碑』と呼ばれる板碑(鎌倉時代から戦国時代末期までの武家の菩堤を弔うための石の塔婆)が発見されました。そうしたことから創建は、今を遡ること400年以上も前、安土桃山時代の天正10年(西暦1582年)ではないかとされています。
その昔、当寺は、練馬区東大泉の倍光山妙延寺、杉並区清水の法光山妙正寺とともに『三光山』を呼ばれ、千葉県市川市にある日蓮宗大本山・中山法華経寺を勤めあげた老僧の隠居寺にもなっていました。
さらに、このあたりはかつて、小榑(こぐれ)村と呼ばれていたのですが、『北豊島郡誌』(大正7年)の中に、「大泉村役場は、大字小榑1234番地に在り、村制以来隣接せる本照寺に置きたるが、明治44年中現処に移転したる也」という記述があり、当寺が村役場になっていたという歴史も明らかになっています。
~乱世を生きた日蓮聖人~
日蓮聖人は、日蓮宗が拠りどころとする経典『法華経』の宣布高揚を真実一路、貫きました。それゆえに反発も多く「大難は四カ度、小難は数知れず」と言われるほど、迫害と弾圧の連続でした。そんな日蓮聖人の生涯を現わすにふさわしい『乱世に立つ』という言葉。現住職の書をもとにした五文字が台座に刻まれています。
年中行事のご案内
●彼岸会(3月・9月)
彼岸とは、煩悩や迷いのない悟りの世界を意味します。昼と夜の長さが同じになる春分の日と秋分の日を中心とする一週間が彼岸の期間で、お墓参りや法要が行われます。
●お施餓鬼(8月10日)
六道のひとつにある苦しみの世界(餓鬼世界)で、自分の力では抜け出すことができずに苦しんでいる者(餓鬼)に対して、食べ物を施す行事がお施餓鬼。僧侶が読経をあげ、信徒とともに先祖の供養をするのですが、ふだんの供養よりもはるかに功徳が大きいとされています。
●お会式(11月18日)
日蓮聖人は弘安5年10月13日に現在の東京池上の地でお亡くなりになりました。その日を中心に全国の日蓮宗寺院で行われる法要がお会式。夜の町を練り歩く万灯行列は季節の風物詩にもなっています。
彼岸とは、煩悩や迷いのない悟りの世界を意味します。昼と夜の長さが同じになる春分の日と秋分の日を中心とする一週間が彼岸の期間で、お墓参りや法要が行われます。
●お施餓鬼(8月10日)
六道のひとつにある苦しみの世界(餓鬼世界)で、自分の力では抜け出すことができずに苦しんでいる者(餓鬼)に対して、食べ物を施す行事がお施餓鬼。僧侶が読経をあげ、信徒とともに先祖の供養をするのですが、ふだんの供養よりもはるかに功徳が大きいとされています。
●お会式(11月18日)
日蓮聖人は弘安5年10月13日に現在の東京池上の地でお亡くなりになりました。その日を中心に全国の日蓮宗寺院で行われる法要がお会式。夜の町を練り歩く万灯行列は季節の風物詩にもなっています。
当寺へのお問い合わせ
当寺への法要等、ご質問に対するお問い合わせはお電話にてお願い致します。
本照寺の基本情報
スポット名 | 本照寺 |
---|---|
TEL | 03-3922-5430 |
FAX | 03-3924-7989 |
住所 |
〒178-0065 東京都練馬区西大泉3-11-3 |
営業日 |
|
駐車場 | あり |
備考 | プロフィール 山号 了光山 寺号 本照寺 本尊 十界互具大蔓茶羅(萬年救護) 本山 総本山・身延山久遠寺 宗祖 日蓮聖人 開山年 天正10年(西暦1582年) 開山開基 本照院日勇上人 現住職 境野哲秀 ~縁起~ 本堂を改築した際に、主柱の下から天正10年の記銘のある『日蓮題目板碑』と呼ばれる板碑(鎌倉時代から戦国時代末期までの武家の菩堤を弔うための石の塔婆)が発見されました。そうしたことから創建は、今を遡ること400年以上も前、安土桃山時代の天正10年(西暦1582年)ではないかとされています。 その昔、当寺は、練馬区東大泉の倍光山妙延寺、杉並区清水の法光山妙正寺とともに『三光山』を呼ばれ、千葉県市川市にある日蓮宗大本山・中山法華経寺を勤めあげた老僧の隠居寺にもなっていました。 さらに、このあたりはかつて、小榑(こぐれ)村と呼ばれていたのですが、『北豊島郡誌』(大正7年)の中に、「大泉村役場は、大字小榑1234番地に在り、村制以来隣接せる本照寺に置きたるが、明治44年中現処に移転したる也」という記述があり、当寺が村役場になっていたという歴史も明らかになっています。 ~乱世を生きた日蓮聖人~ 日蓮聖人は、日蓮宗が拠りどころとする経典『法華経』の宣布高揚を真実一路、貫きました。それゆえに反発も多く「大難は四カ度、小難は数知れず」と言われるほど、迫害と弾圧の連続でした。そんな日蓮聖人の生涯を現わすにふさわしい『乱世に立つ』という言葉。現住職の書をもとにした五文字が台座に刻まれています。 |