コオリヤマキンギョシリョウカン

郡山金魚資料館

1年中いつでも金魚が見ることができる観光施設
文化・ミュージアム
  • 資料館
エリア
奈良県大和郡山市
最寄り駅
近畿日本鉄道橿原線 近鉄郡山駅 から徒歩10分
郡山金魚資料館に行く前にチェック!
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概要
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 創立者、嶋田正治は昭和30年頃より金魚の生産地見学に訪れて来る小中学校や社会教育団体などに
 自営の養殖場を無料開放して説明役を務め、30年間で延約10万5千人の見学者を受け入れた。
 金魚のふる里に金魚に関する資料館もなく、憂いを感じながら資料館の建設は永年の夢であった。
 NHKの「明るい農村」に出演して語った構想をそのままに、100坪養魚池を埋め立て自費、
 手作りで着工して完成したものである。

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■┓ 金魚の民俗資料
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時代の移り変りと養殖技術の改良等により金魚の養殖器具も古い物は捨てられ新しい物に変わる。
これらの養殖器具の展示と保存を行っている。

■┓ 金魚に関する古書、浮世絵、資料の展示
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金魚が上流社会の愛玩用から庶民にも飼育、愛玩できるようになったのは江戸時代の1800年ごろと
言われている。それに伴い浮世絵や俳句、小説の等作品にも金魚が登場してくるようになり陶器や民具にも
金魚の姿が良く見られるようになった。
展示中の古書、浮世絵の殆どは世界的な金魚研究家、故松井圭一先生が収集された貴重なもので、
日本で最初に金魚について書かれている和事始(やまとことはじめ1683年)には
「元和年中( 年)に中国より堺の港に来た」と示されている。
日本で最初の金魚の飼育本「金魚養玩草 きんぎょやしないぐさ」、幻の大阪らんちゅうの挿絵がある
「金魚問答 1903年 きんぎょもんと 」など貴重な文献を多数展示している。
大和郡山の金魚
金魚が日本に初めて到来したのは、足利時代(文亀2年・1504年頃)で、
その頃の日本国内は動乱の時代で繁殖させることができなかった。
徳川幕府が天下統一して平和になつた時代(元和2~5年・1616~19年間)に再到来したものが繁殖して現在に伝えられた。
郡山の金魚は柳沢吉保の子吉里が甲斐の国(山梨県)から大和郡山の藩主として国替りしてきた時に
持ってきたと伝えられている。下級武士の内職として飼育していた金魚の養殖技術が、
徳川の末期から明治の初期にかけて付近の農家に伝えられ副業となり、水利の便の地の利を得て
養殖が盛んになり日本の主要産地となった。
太平洋戦争中は金魚の養殖は中断したが、平和共に復帰して、昭和40年代高度成長共に発展し養殖面積
80ヘクタール、養殖業者百数十戸、年間1億2~3千万尾の金魚が生産されて全国の50%のシェアをしめ
全盛期を迎えた。しかしオイルショック後不景気や都市化、後継者不足も伴い年々衰退している。

郡山金魚資料館の基本情報

スポット名 郡山金魚資料館
TEL 0743-52-3418
住所 〒639-1021
奈良県大和郡山市新木町107
営業日
開館時間:
10:00~17:00
休館日:
月曜
blog http://kingyoen.com/blog/
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