シラヤマジンジャ

白山神社

白山神社は大阪市内で一番大きい 「いちょう」の樹あり。幹まわり約5m、高さ約23m。
神社
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エリア
大阪府大阪市城東区
最寄り駅
大阪メトロ中央線・今里筋線 緑橋駅 から徒歩10分
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白山神社由緒略記
当社に祭祀する菊理媛神(くりひめのかみ)と申し上げる神は神代の昔、伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)の二柱の神の御中にお立ちになって御心を和やかにせられた神であって、常に親子・兄弟・姉妹・夫婦・朋友に至るまで相互間を守り幸え睦まじくせられる神であるから、氏子は申すに及ばず世の中の人たちはすべて一日片時もこの神の御恩恵をこうむらないものはない。

当社の創立年歴は遼遠であるため詳しく解らないが、昔、群家の境域内にあつた字安久土杜(あざなあくどのもり)という小丘に崇祀した御社で、応永の頃までは中浜・鴫野・森の諸村の氏神であった。
殿宇は宏壮、社頭は広漠巨樹は鬱蒼としてこれをおおい自ずから崇敬の念をおこさせるものがあったが天正4年(1576)本願寺の僧侶顕如が石山に立てこもり織田信長と交戦の際に社殿その他烏有に帰した。

文禄3年(1594)速水甲斐守の検地帳には氏神白山権現宮地1反24歩除地と記載してある。
また、慶長8年(1603)豊臣秀頼が社殿その他を再建せられ、慶長14年(1609)片桐市正(いちのかみ)の検地の際も除地となっている。古来、端午の日に流鏑馬式を行っていたので慶長19年11月(1614)徳川家康の大阪の役のときに射馬に縁故があるとして本多出雲守は陣屋と定められたが社殿その他は兵火にかかったが元和3年(1617)に大阪城在番城代の内藤紀伊守が再建せられ延宝5年(1677)青山大膳の新検地帳にも以前のとおり除地と記載してある。
次いで享保6年8月(1721)本殿並びに拝殿を改築し寛保3年3月(1743)屋根葺き替え修復をほどこし、宝歴5年9月(1755)、安永6年9月(1777)、寛政10年10月(1798)及び嘉永元年9月(1848)の4回にわたり修繕を加えた。明治5年(1872)村社に列せられ、続いて権現号を廃し、社号を白山神社と改称せられ、また、境内324坪は官有地第1種となったが明治18年(1885)の洪水のため荒無地となったので明治19年(1886)秋から翌20年夏に至るまで地所を検分せられ、元のとおり社地と定められ、のち、明治21年9月(1888)及び同35年3月(1902)屋根葺き替え修繕を行った。明治42年5月(1909)内務省令第12号及び同年勅令第96号を持って指定せられた。大正4年10月(1915)本殿及び瑞垣を改築し、昭和2年8月(1927)境内模様替え・本殿屋根葺き替え並びに幣殿・拝殿及び神饌所を改築、平成3年10月(1991)本殿を改築して現在に至っている。
白山神社のおおいちょう
白山神社の境内にある「いちょう」の木は樹齢は不明ですが、古くから平野川堤防上の神社の境内に榎・松などと共に茂っていました。また、大阪冬の役にて東軍の将 本多出雲守の陣屋となり、この木に登って西軍の状況を偵察したと伝えられています。
大阪市内で一番大きい 「いちょう」の樹で、幹まわり約5m、高さ約23mの枝ぶりのよい名木です。

白山神社の基本情報

スポット名 白山神社
TEL 06-6961-0481
住所 〒536-0024
大阪府大阪市城東区中浜2丁目3-15
営業日
参拝時間:
お問い合わせ下さい
年中無休:
ご確認ください
HP http://www.occn.zaq.ne.jp/hourai/nakahama/
駐車場 なし
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