キョウトトウジキカイカン

京都陶磁器会館

一般財団法人 京都陶磁器協会
文化・ミュージアム
  • デザイン
  • 展示・イベント
エリア
京都府京都市東山区
最寄り駅
京阪電車本線 清水五条駅 から東へ徒歩約10分
京都陶磁器会館に行く前にチェック!
お気に入りに追加
お気に入りを解除
メッセージ
京・東山の五条坂は、その分かれ道である茶わん坂とともに清水寺へと続く、京焼・清水焼の通り。その登り口に京都陶磁器会館はございます。伝統に磨かれた名工の作品はもちろん、若手陶芸家の感性豊かな新作を展示・販売しています。

京都陶磁器会館の基本情報

スポット名 京都陶磁器会館
TEL 075-541-1102
FAX 075-541-1195
住所 〒605-0864
京都府京都市東山区遊行前町583-1
営業日
開館時間:
9:30~17:00(最終入館/16:30)
休館日:
木曜日
Facebook http://www.facebook.com/kyototoujikikaikan
駐車場 現代に引きつがれた名工たちの技を伝えます
備考 京・東山の五条坂は、その分かれ道である茶わん坂とともに清水寺へと続く、京焼・清水焼の通り。その登り口に京都陶磁器会館はございます。伝統に磨かれた名工の作品はもちろん、若手陶芸家の感性豊かな新作を展示・販売しています。≪ご利用案内≫
●(入館) ・・・・ 無料
●(館内でのご注意)
 ■会館内での撮影はご遠慮ください。
 ■大声でのおしゃべりはご遠慮ください。
 ■展示室内での飲食はご遠慮ください。

≪京焼・清水焼について≫
京都で発見された窯跡で最古のものは、6世紀末の築窯とされる須恵器の窯である。
8世紀末期、平安京の建設がはじまってから京都の窯はおおいに発展をして、平安時代にはみごとな緑釉陶や緑釉瓦を生み出した。
「京焼」という言葉の最初は、慶長10年(1605年)、博多の豪商神谷宗湛『宗湛日記』に書かれた「京ヤキ」であるとされる。
中世末期からの茶の湯の流行を背景とした、京都における焼き物等の美術工芸の開花は、いわゆる安土桃山文化の時代からであることを考えても、「京焼」とは、近世以降の京都の窯から生まれた焼き物をさすのである。

■[初期の京焼]
もっとも古い京焼は粟田口の窯とされている。
遅くとも近世の初め、慶長年間(1600年前後)には開窯されていた。
京焼のはじめは、当時の瀬戸などの最高技術を、需要の増大に応じて、直接需要地の京都に移して焼くようになったということである。
(これが、京焼の最も特徴的な本質といわなければならない。)
初期の京焼(粟田口焼、清水焼、音羽焼、修学院焼等)は、今日ひとまとめにして「古清水」と総称されている。
技術の進歩もあって、絵付け陶、中でも色絵陶が実現したのであり、仁清以前のもっと早い時期に京焼色絵はあらわれたというのが、最近の研究で確かめられている。
初期京焼の天才的といってよい代表的な作陶家は、野々村仁清と尾形乾山(1663~1743)であることは有名である。
■[江戸の京焼]
文化・文政期のすぐれた陶工に、奥田頴川(1753~1811)がいる。
彼は明からの帰化人の子孫で相当な教養人であった。
当然ながら頴川の手本は、「明の磁器」であり、彼の最大の功績は、京焼において最初に完全な磁器を作る技術を切りひらいた点にあるといえる。
青木木米(1767~1833)は、頴川門下のなかでもトップの秀才で、仁清・乾山とならんで、「京焼三陶工」の一人に数えられている。
彼も高い教養をそなえた文人でもあって、木米の陶磁器は、文人としての素養の側面が大きいともいえる。
その他の後期京焼を代表する名工には、仁阿弥道八(1783~1855)、尾形周平(1791~1839)、永楽保全らがいる。
■[明治以降の京焼]
幕末の動乱の中で、京焼もその渦中にまきこまれ、一時期衰退の方向へむかったが、永樂和善や三代清水六兵衛、宝山文蔵、六代錦光山宗兵衛、丹山青海などといった窯を守る陶工達により盛んな活動は続いた。
明治に入り、急速な近代化を図る日本で、京都は最も早く文明開化が進んだ土地であったが、京焼もその例外ではなかった。
明治期において、江戸時代以前の京焼にはなかった動向に輸出品の生産がある。近代化の波とともに、生活様式の西洋化が進む中、輸出品はもちろん、国内向けの陶磁器においてもコーヒー碗などの洋食器も盛んに作られるようになった。
大正期に入ると、時代は自由な息吹が起こるようになる。大正デモクラシーである。そうした時代背景の中、京焼は個人作家が活躍する時代を迎える。
河井寛次郎や石黒宗磨、富本憲吉など民芸陶磁ブームの火付け役となった優れた陶芸家が現れ、活躍した。
昭和以降、終戦後は、文化的な活動が盛んになる中、京焼には、日展や伝統工芸会、走泥社などに所属して、芸術的な高みに陶磁器を揚げようとする個人作家と、伝統技術を継承し、京焼として優美な器を提供しようとする窯元の二つの流れがあると言えよう。
近代において、急速な工業化が進み、陶磁器も多くは機械的な量産品になったが、京焼は、あくまでも手作りにこだわり、職人による伝統技法を守り、放すことはない。
それは、京焼の優れた先達が培った焼き物の文化を守り続けようとする京焼人(きょうやきびと)の心意気なのである。
PAGE TOP