モギトウフ

もぎ豆腐

もぎ豆腐店株式会社
ショッピング
  • 専門店
エリア
埼玉県本庄市
最寄り駅
本庄市役所から車で5分
JR 高崎線 本庄駅 から車で8分
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メッセージ
【ご挨拶】
もぎ豆腐店は、初代三之助が日本橋浜町で豆腐屋を営み、戦争で疎開してきたこの地埼玉県本庄市で味を伝え続けています。「素がいいから豆腐が旨い」これからも美 味しい豆腐を過去から現在、未来へと伝え続けます。食を大切にすることは自然を大切にすること、命を大切にすることです。食べ物 に対する感謝の心を忘れずに「本物」を守ります。

【飲水思源(みずをのみてそのみなもとをおもう)】
豆腐屋はご存じのとおり朝が早い。
朝を告げる鶏より早起きかもしれません。暖かな時分なら未だしも、寒さの厳しい時分は真に堪えます。
後継ぎとして将来を託していた私の兄達を早くに亡くして、すっかり力を落した親二人の姿を見て、豆腐屋になるとは夢にも思わなかった末っ子の私が豆腐屋を継ぐ決心をしたのが24歳の時でした。
親父から聞く処によると、親父が両国薬研堀の豆腐屋・相模屋本店へ徒弟奉公に上京したのが10代の時でした。
それなりに苦労と修行を積んで、昭和の初め、日本橋浜町に相模屋の暖簾を分けてもらい、新店を構えることができました。
それを潮に縁あって豆腐屋の娘を嫁に貰い、夫婦で力を合わせ稼業に励みました。
親父の作る豆腐は味のよさでお得意様も次第に増え、愈々これからというとき、昭和20年3月の東京大空襲で焼け出され、命からがら妻子と伴に藤田村宮戸へ戻りました。
その当時のことをそれこそ地獄のありさまだったと、お袋さんからしばしば聞かされました。
折角築いた店も一からの振り出し。戦後のことでもあり散々苦労もしたようです。
しかし、念願叶って、茂木豆富店を開業、「みのちゃんの豆腐はうまいッ」と評判をいただけるようになって来ました。
そんな折、前に話した不幸の連続、そして私の豆腐屋修行の始まり。
仕事に厳しい親父にはビシビシ仕込まれました。
その親父も昭和51年に亡くなり、私の肩の荷が急に重くなって来ました。
後を継ぐと決めたからには、親父を超える豆富を作ってやろうと張り切っては見たが、親父の豆腐ができない…。
そんな時の強い師匠がお袋さん。
下町生まれのチャキチャキで味には滅法うるさい人だから大層助かったものです。
それから豆富一筋、30年有余年。
漸う宮戸から当地・本庄市寿に工場を移し生産規模を拡大。私ひとりの手には余ると、昭和58年12月、もぎ豆腐株式会社として法人組織にいたしました。
只管に豆腐づくりの日々を重ねて、平成14年6月、20期の節目を迎えることができました。
真にありがたいことです。
ここまで参れましたのも、私ひとりの力ではございません。
まず初めに、三之助の商品をご愛顧くださいます沢山のお客様方。そしてお力添えを戴きます様々な業者の方々、それに加えて、春夏秋冬、豆腐づくりに汗する作り手。
皆々様のお蔭でございます。
このご恩は重々忘れるものではございません。
食を大切にすることは、自然を大切にすること。命を大切にすることです。
昨今の「食」を取り巻く環境は不可解。
食べ物に対する節度や感謝の心が薄れてきてはいないか、自然の摂理に逆らってはいないかと不安でなりません。
三之助はこれからも頑固に律儀に「本物」をつくり続けて参ります。
これが皆様に一番よろこんでいただけることですから。
忘れられたこの味を伝えよう、子供らに。と只管に作り手が味を伝えて参ります。
ありがとうございます。
もぎ豆腐店株式会社
茂木 稔

もぎ豆腐の基本情報

スポット名 もぎ豆腐
TEL 0495-22-2331
住所 〒367-0023
埼玉県本庄市寿3-2-21
営業日
営業時間:
お問い合わせください
定休日:
お問い合わせください
HP http://www.minosuke.co.jp/
備考 【ご挨拶】
もぎ豆腐店は、初代三之助が日本橋浜町で豆腐屋を営み、戦争で疎開してきたこの地埼玉県本庄市で味を伝え続けています。「素がいいから豆腐が旨い」これからも美 味しい豆腐を過去から現在、未来へと伝え続けます。食を大切にすることは自然を大切にすること、命を大切にすることです。食べ物 に対する感謝の心を忘れずに「本物」を守ります。

【飲水思源(みずをのみてそのみなもとをおもう)】
豆腐屋はご存じのとおり朝が早い。
朝を告げる鶏より早起きかもしれません。暖かな時分なら未だしも、寒さの厳しい時分は真に堪えます。
後継ぎとして将来を託していた私の兄達を早くに亡くして、すっかり力を落した親二人の姿を見て、豆腐屋になるとは夢にも思わなかった末っ子の私が豆腐屋を継ぐ決心をしたのが24歳の時でした。
親父から聞く処によると、親父が両国薬研堀の豆腐屋・相模屋本店へ徒弟奉公に上京したのが10代の時でした。
それなりに苦労と修行を積んで、昭和の初め、日本橋浜町に相模屋の暖簾を分けてもらい、新店を構えることができました。
それを潮に縁あって豆腐屋の娘を嫁に貰い、夫婦で力を合わせ稼業に励みました。
親父の作る豆腐は味のよさでお得意様も次第に増え、愈々これからというとき、昭和20年3月の東京大空襲で焼け出され、命からがら妻子と伴に藤田村宮戸へ戻りました。
その当時のことをそれこそ地獄のありさまだったと、お袋さんからしばしば聞かされました。
折角築いた店も一からの振り出し。戦後のことでもあり散々苦労もしたようです。
しかし、念願叶って、茂木豆富店を開業、「みのちゃんの豆腐はうまいッ」と評判をいただけるようになって来ました。
そんな折、前に話した不幸の連続、そして私の豆腐屋修行の始まり。
仕事に厳しい親父にはビシビシ仕込まれました。
その親父も昭和51年に亡くなり、私の肩の荷が急に重くなって来ました。
後を継ぐと決めたからには、親父を超える豆富を作ってやろうと張り切っては見たが、親父の豆腐ができない…。
そんな時の強い師匠がお袋さん。
下町生まれのチャキチャキで味には滅法うるさい人だから大層助かったものです。
それから豆富一筋、30年有余年。
漸う宮戸から当地・本庄市寿に工場を移し生産規模を拡大。私ひとりの手には余ると、昭和58年12月、もぎ豆腐株式会社として法人組織にいたしました。
只管に豆腐づくりの日々を重ねて、平成14年6月、20期の節目を迎えることができました。
真にありがたいことです。
ここまで参れましたのも、私ひとりの力ではございません。
まず初めに、三之助の商品をご愛顧くださいます沢山のお客様方。そしてお力添えを戴きます様々な業者の方々、それに加えて、春夏秋冬、豆腐づくりに汗する作り手。
皆々様のお蔭でございます。
このご恩は重々忘れるものではございません。
食を大切にすることは、自然を大切にすること。命を大切にすることです。
昨今の「食」を取り巻く環境は不可解。
食べ物に対する節度や感謝の心が薄れてきてはいないか、自然の摂理に逆らってはいないかと不安でなりません。
三之助はこれからも頑固に律儀に「本物」をつくり続けて参ります。
これが皆様に一番よろこんでいただけることですから。
忘れられたこの味を伝えよう、子供らに。と只管に作り手が味を伝えて参ります。
ありがとうございます。
もぎ豆腐店株式会社
茂木 稔
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