カワゴエハチマングウ

川越八幡宮

カワゴエハチマングウ
神社
  • 神社
エリア
埼玉県川越市
最寄り駅
東武・JR 川越駅 より徒歩6分
西武 本川越駅 より徒歩7分
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ご祈願・お祓い
厄除 方位除 合格(学業)祈願 良縁(縁結び)祈願 神前結婚式 家内安全 お宮参り(初宮詣) 七五三詣 成人祝 交通安全(車祓) 水子供養 安産祈願 人形清祓 スポーツ必勝祈願 心願成就 旅行安全 商売繁盛 社運隆盛 職場安全 開運招福 無病息災 病気平癒  
川越八幡宮の結婚式
夫婦イチョウのご神木のある鎮守の森で挙げる結婚式は心に響きます。お二人だけの結婚式から大勢様のご参列による挙式まで、当宮にお申し付けください。挙式料 6万円(日本雅楽の生演奏付)予約は随時受け付けております。
メッセージ
ご由緒
当社・川越八幡宮は、第68代・後一条天皇の時代の長元3年(1030)に甲斐守源頼信によって創祀されたと伝えられています。長元元年(1028)、下総国(千葉)の城主前上総介平忠常は朝廷に謀反を企て、安房、上総、下総の3カ国を従わせ、大軍を起こして武蔵国に攻め入りました。この乱は長元の乱と言われ、3年に渡り鎮圧できませんでした。有力武士だった冷泉院判官代甲斐守源頼信が長元3年に平忠常追討の倫旨を賜りました。

源頼信は当地で必勝祈願を行い、敵陣に斬り込んだところ、忠常の軍勢はたちまちに乱れました。そして三日三夜の間、追討してついに乱を平定しました。頼信は神様の御神威に深く感謝して、すぐに当地に八幡神社を創祀しました。これが当社の創建です。

当時このあたりは、豪族河越氏の所領で鎌倉時代、神社後方に河越氏の館がありました。応永32年(1425)には、関東管領足利持氏河越兵庫助の館跡地の半分を当神社に日供料として寄進したといわれています。長禄元年(1457)、川越城が完成しました。築城の名手だった太田道灌は当神社を篤く崇敬し、分霊を川越城内の守護神として奉斎しました。


爾来、川越の歴代城主、城代の崇敬が深く、特に天正18年(1590)以来の城主・酒井氏一族の崇敬はすこぶる篤く、社殿の造営、神田、神宝の寄進が相次ぎました。酒井氏は国替後も崇敬を加え、しばしば改築費、修繕費等を奉納しました。文化9年7月1日(1812)、姫路城主・酒井雅楽頭源朝臣忠衛は御神号「河越八幡宮」(文字は向鳩形)の額と掛物一幅を奉納しました。寛永2年(1625)には、徳川家光公が日光社参の折、酒井備後守忠利が道中安泰の祈願をし、その功により葵紋付祭器具の寄進がありました。

明治維新の際には、別当万蔵寺を廃しましたが、川越城主の地の人々は当社を川越の守護神として崇敬しています。昭和51年秋に、当社は埼玉県にて一社、神社本庁第一次神社振興対策モデル神社に指定されました。

創建から約980年、今も変わらず当社は篤い崇敬を受け、関東一円より多くの皆様からご参拝をいただいております。

川越八幡宮の基本情報

スポット名 川越八幡宮
TEL 049-222-1396
FAX 049-224-4236
住所 〒350-0045
埼玉県川越市南通町19-3
営業日
営業時間:
特に定めなし
定休日:
無し
HP http://kawagoe-hachimangu.net/
駐車場 境内が駐車場となっております。(無料)
備考 ご由緒
当社・川越八幡宮は、第68代・後一条天皇の時代の長元3年(1030)に甲斐守源頼信によって創祀されたと伝えられています。長元元年(1028)、下総国(千葉)の城主前上総介平忠常は朝廷に謀反を企て、安房、上総、下総の3カ国を従わせ、大軍を起こして武蔵国に攻め入りました。この乱は長元の乱と言われ、3年に渡り鎮圧できませんでした。有力武士だった冷泉院判官代甲斐守源頼信が長元3年に平忠常追討の倫旨を賜りました。

源頼信は当地で必勝祈願を行い、敵陣に斬り込んだところ、忠常の軍勢はたちまちに乱れました。そして三日三夜の間、追討してついに乱を平定しました。頼信は神様の御神威に深く感謝して、すぐに当地に八幡神社を創祀しました。これが当社の創建です。

当時このあたりは、豪族河越氏の所領で鎌倉時代、神社後方に河越氏の館がありました。応永32年(1425)には、関東管領足利持氏河越兵庫助の館跡地の半分を当神社に日供料として寄進したといわれています。長禄元年(1457)、川越城が完成しました。築城の名手だった太田道灌は当神社を篤く崇敬し、分霊を川越城内の守護神として奉斎しました。


爾来、川越の歴代城主、城代の崇敬が深く、特に天正18年(1590)以来の城主・酒井氏一族の崇敬はすこぶる篤く、社殿の造営、神田、神宝の寄進が相次ぎました。酒井氏は国替後も崇敬を加え、しばしば改築費、修繕費等を奉納しました。文化9年7月1日(1812)、姫路城主・酒井雅楽頭源朝臣忠衛は御神号「河越八幡宮」(文字は向鳩形)の額と掛物一幅を奉納しました。寛永2年(1625)には、徳川家光公が日光社参の折、酒井備後守忠利が道中安泰の祈願をし、その功により葵紋付祭器具の寄進がありました。

明治維新の際には、別当万蔵寺を廃しましたが、川越城主の地の人々は当社を川越の守護神として崇敬しています。昭和51年秋に、当社は埼玉県にて一社、神社本庁第一次神社振興対策モデル神社に指定されました。

創建から約980年、今も変わらず当社は篤い崇敬を受け、関東一円より多くの皆様からご参拝をいただいております。

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